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大日方 邦子 氏
総会記念講演要旨「壁なんて破れる」
冬季パラリンピック
アルペンスキー金メダリスト督
大日方 邦子
PROFILE
冬季パラリンピック アルペンスキー金メダリスト。1972年東京生まれ。3歳の時に交通事故により負傷。右足切断、左足にも障害が残る。現在は義足と車いすを活用して、極めてアクティブな日常生活を送っている。 高校2年の時にチェアスキーと運命的に出会い、スキーヤーとして歩み始める。 1994年 リレハンメルパラリンピックでは初出場ながら5位入賞。 1996年 NHKにディレクターとして入局。主に教育番組の制作を担当。 1998年 長野パラリンピックでは冬季パラリンピック日本人初の金メダル を獲得。その後もパラリンピックへの挑戦を続け、日本選手団主将を務めたトリノ大会では、自身2つ目の金メダルを獲得。 2007年、競技に専念できる環境を求めて(株)電通パブリックリレーションズに転職。2008年右肩脱臼という選手生命の危機に直面するが、2010年のバンクーバー大会に5大会連続出場を果たし、2つの銅メダルを獲得。パラリンピックで獲得したメダル数は通算10個(冬季パラリンピックでは日本人最多獲得記録)同年9月、日本代表チームからの引退を表明。電通PR社員として、公職活動に従事しつつ、スポーツを取り巻く社会環境の改善に取り組む他、「誰もが安心して生きられる社会」を目指し、多様性を許容できる社会の普及に資する活動にも取り組んでいる。

私は冬のパラリンピックのアルペンスキー選手でした。1994年、大学3年生の時に初めてリレハンメル大会に出場し、1998年長野大会で金メダルを、2002年ソルトレークシティ大会で銅メダルを2つ、2006年トリノ大会では金メダルを得ました。一人の選手がどう育ち、何を経験し、挑戦を通じて何を得たかをお話しいたします。

義足で木登り、活発な小学生時代

私は3歳のとき交通事故で右脚を膝上で切断、左脚も大きな後遺症が残っています。2年半入院しました。退院後、義足さえ来れば歩けるようになると思っていたのですが、実は義足で生活するのは難しく、リハビリやトレーニングを積んで歩けるようになるのが通常です。ところが私は、歩けてしまったんです。向かった先はブランコ。活発な子でしたから、なんとかして自分で乗りたかったんです。この写真(木登りで)は弟たちが力を合わせて一生懸命押してくれました。脚がなくなっても、両親は「危ない、できないからやめなさい」と一度も言わないでくれました。

義足はとても重くて、子どもの体重20キロに対して2キロもありますが、何回も挑戦していくうちにコツをつかめ、鉄棒で逆上がりができるようになりました。得意な教科は体育。特に水泳は大好きで、いつもクラスのリレー選手に選んでもらいました。義足は金属で水の中につけられないので、外して参加します。友達は最初とてもびっくりしていました。じろじろ見たり、どうしたらいいかわからなくて遠巻きにしていた人たちも、だんだんお互いに慣れて気にならなくなって、「泳ぐの速いな」ということに目がいくようになる。2020年の東京パラリンピックを成功させる重要な視点のひとつは、この「見慣れる」ことにあると思います。

運動会の入場行進では、義足ユーザーが右脚と左脚を同じ歩幅とリズムで歩くことが難しいという問題がありました。母は「じゃあ練習しましょう」と、庭で弟たちと行進の練習をしました。諦めるのではなく、やれる方法を探す。工夫すればできるようになるということを、少しずつ体験できました。

スカートのはけない中学生時代

中学校時代、女子の制服はスカートでしたが、傷を守らなければいけないので、一人だけ、パンツスタイルで通い始めました。そのことが同級生にはすごく違和感があったようで、いじめを受けました。最も傷ついたのは、「障害者なんだからおとなしくしてればいいのに、生意気なんだよ」という言葉。私は義足を外して水泳の授業にも参加します。勉強も好きで得意でした。皆さんと同じように頑張っていることが「生意気だ、ムカつく」と言われて、どうすれば仲良くできるのかいろいろ考えた時期でもありました。

障害者なのに勉強ができてはいけないだろうか、義足を外して他の人より速く泳げたら、それはムカつくことなんだろうか。期待通りに障害者らしく行動したとしても、それは私にとって自分らしさを失うことで、全然楽しくない生き方です。考えて考えて、一つの答えを見いだしました。障害があることは悪いことではない。恥ずかしいことではない。人と違うということで、気づけることもたくさんある。考え続けること、自分に向き合うこと、そういう力を得ることができ、パラリンピックへの〈壁にぶつかっても破る力〉を身につけられたのではないかと思っています。

高校時代、スキーと出会い、今までと違う見方に出会う

高校2年の時初めてスキーをしました。それまで、雪は、足下が悪いので好きになれなかったのが、雪があるおかげでスキーができる。楽しいことが経験できると、物の見方が違って見える経験をしました。大きな人生の転機は、チェアスキーとの出会いでした。

チェアスキーは、幅10センチの1本のスキー板の上に座る所が付いているだけなのでバランスがとれません。転ぶと起き上がることもできない私を、ボランティアの方が汗だくになって起こしてくれて、滑れるようになると自分のことのように喜んでくれる。大きな驚きでした。「何でそんなに喜んでくれるの?」と聴くと「できなかったことができるようになるってすごいことだよね。あなたが心から楽しそうに笑ってるから、私たちも嬉しくなる」。今まで自分には全くない考え方だったと気づかされました。

冬のパラリンピックへ

1998年の長野パラリンピックも大きな転機になりました。金メダルを取ったら、スポーツ紙一面で大きく取り上げられたんです。1994年、リレハンメル大会でも先輩が銀メダルを取っているのですが、当時は日本では関心が低く、わずか数行の扱いだったことを思うと、夢のようでした。そして、〈日本人初の金メダル〉だから(話題になった)と実感もしました。閉会式は、日本中から集まった千羽鶴がいっぱいに敷き詰められた中で迎えて、選手たちは互いに首に掛け合って、たたえ合いました。2020年でも、日本中、世界中からの応援が伝わるように何かできたらという夢があります。

進化していく金・銀・銅メダル

お見せしているトリノ大会の金メダルは(金一色でないので)驚かれるかもしれません。バンクーバー大会のは(丸でなく)四角でぼこぼこしています。平坦でない道を歩んできた選手の努力を表すとともに、山の競技であることも表しているそうです。リオ大会のメダルはすごく素敵で、振るとチャラチャラと、金と銀と銅で違う音がするんです。どのメダルか視覚障害の人も確認できます。点字が裏に入っていますが(晴眼者は)読むことができません。音なら楽しめます。ユニバーサルデザインの新しい発想のメダルが生まれたのです。ビジネスの発想も、違う視点で見てみると大きなニーズ・シーズが見つかると言いますが、まさにそうだと思います。

パラリンピアンが伝えられること

選手が伝えられるメッセージはたくさんあると思います。

自分の可能性を信じる/挑戦する面白さ/4年をスパンとして目標を立てる(今年はこう、2年後にはこういう自分であろうというのが、とても大切な目標の立て方です)/諦めない(己に勝つことはスポーツ選手に共通する思いです)/お互いの違いを認め合うこと/努力をすれば、何らか得られるものがある。

そして、国際パラリンピック委員会によるとパラリンピックの価値は4つのテーマがあると言われます。

1.勇気〈マイナスの感情に向き合い乗り越えようと思う精神力〉。

2.強い意志〈困難があっても諦めず限界を突破しようとする力〉。

3.インスピレーション〈人々の心を揺さぶり駆りたてる力〉

:長野大会のダウンヒルという競技で、スタート前、ものすごく緊張していたんです。ゴールにいたコーチが「これ聴いてごらん」と無線機のスイッチを押し続けてくれた。ゴールエリアの笛や声が「わあーっ」と地鳴りのように聞こえてきました。「こんなにたくさんの人が応援してくれる。みんなが待っていてくれるゴールに行こう」と、頑張ってゴールできました。金メダルが確定した瞬間に、みんな我がことのように喜んで、泣いたり駆け寄って抱きしめてくれる人とかいて、「力をくれてありがとう」と言ってくれるんです。でも、私は、皆さんから力をもらった。こんなに感動してもらえる、すごいことだと経験できました。

4.公平〈多様性を認め創意工夫をすれば誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力〉

:私は立っては滑れません。でもチェアスキーという道具を工夫をすることで、山の上から100キロ以上のスピードで降りてくることができました。オリンピックの選手と、まさに同じスタートラインに立つことができるのです。

"カッコイイ"共生社会

私たちは健常者の大会には出られません。“2本”のスキー板でゴールするのがルールなのです。水泳も、バタフライや平泳ぎは“両手”でゴールにタッチするのがルールで、片方の手しかない人は公式戦には出られません。ルールを変えることで、いっしょにできることはもっと増えると思っています。

私たちは「共生社会を目指す」と言っています。皆さんの職場で多様な人が働ける、学校で障害のある子もない子も同じ教室で授業が受けられる、車いすユーザーや視覚障害の人が街の中にどんどん出てこられる社会が共生社会と考えます。

私はスポーツ、そしてパラリンピックに出会えたことで人生がとても豊かになったと感謝しています。パラリンピックに出場できるのは障害があったからです。「障害は私の個性だ」と胸を張って言えるようになった。日本では、手が無い、脚が無いことに触れるのはタブーと思う方が多かったそうですが、イギリスで作られた2012年パラリンピックのCM映像を見た若い人たちは「カッコイイ」と言いました。イギリスのパラリンピックは「meet the super humans カッコイイ超人たちに会いに行こう」と盛り上がって満員でした。2020年東京オリンピック・パラリンピックの時、どんなメッセージがわき上がってくるか楽しみです。皆さんで作るオリンピック・パラリンピックです。一人一人が何ができるか考えて、楽しみにしていただければと思います。

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